にわとり日記

のんびり思ったことかきます。ただの日記なので体裁はバラバラ。

あつい

あついですね。

熱中症になりました。

みなさん気をつけけてください、本当に死にそうになります。びっくりしたのですが汗出なくなるんですよ本当にびっくり。

 

本日かなり激動の1日でした。

私は実家の近くで一人暮らししているのですが理由としてはなんせ家庭環境が悪いからです。

自分の意思で出たというよりは家賃払うから出て行ってくれと言われたわけです。

ただ、私は両親のことが好きでした。ここまで何かしらすごい頑張ってきたのですが、すべての原動力は親に認めてもらうことだけだったように思います。だから出て行くとき、とても悲しかったです。それでもなお、母は父と喧嘩をすることも多いので、いつでも逃げれるように実家の近くに住めと言われるがまま近くに住んだり、なんやかんやで1人暮らし寂しいから実家に帰ることも多くありました。言いなりであったようにおもいます。今までの彼氏や友達、たくさんの大人に、今まで家から離れたほうがいいのではないかと散々言われたのですが離れられないなみたいな感じでいました。

それは家族が一番大切だったからです。自分はそれを超える存在に今まで出会ったことがなかったということに気づきました。優先順位が低い存在から優先順位の高いものをああしろこうしろ言われてもなかなか受け入れられないんだろうなと思いました。

 

私は家と関わると孤独に感じることに気づきました。孤独を埋めるために実家に行ってしまったりしていましたが、逆に受け入れられなくて孤独に感じてしまうその繰り返しでした。

 

昨日自分の大切な人の話をしました。

「あんたのことなんか好きなわけないでしょ」と言われてすごく悲しかったし怒りました。私が自分の家の外のことで、母に怒ることは今までなかったと思います。熱中症(この時は知らない)でポヤポヤしててなんか何に対して怒ったのか分からなかったのですが、今日整理しました。

普段母に怒らない言いなりの私が凄く憤ったのは母より彼のことが大切だからだと思います。

今までは絶対的優位だった母の言葉に対して、自分は無意識に反抗していました。

彼はそんな人じゃないとか私は大事にされてるとかそういうことで怒ったのではなく、自分の一番大切な人をそう扱ったことに対して許せなかったのだと思います。

 

自分にとって大きな一歩でした。

家庭というのは人間形成の場でもあり、なかなか離れることもできません。

でも初めて、それより大切な存在に気づいて、あーもう離れていいやって心の底から思いました。そしたら凄く楽になりました。

自分が何かで凹むとき、必ず家庭環境のことが付随していました。ただ家庭環境が付随して自分の一番大切な人に負担や迷惑をかけたりするのは、よくないと思いました。今の自分には、彼の方が大切なので親に何を言われようが受け入れないと思います。

親の連絡先を消して、実家の鍵も置いてきて、私の1人暮らしのスペアキーも回収しました。

 

彼はだいぶ変な人なのですしそこに関して自分も知ってて、諦めてらっしゃるのだけどその変なところが魅力だったりします。

私は熱中症でポヤポヤしつつ孤独だとか人を信用できんとかそのくせ自分を信用して欲しいとか(矛盾してる)いう主張を彼にしたのですが、彼とかがどう変わろうが周りがいかに自分に優しくしてくれようが、私が抱える孤独感とか人を信用できないというものは変わらないのだと思います。どんなに優しくされようがどうせ疑うしそう生きてきたからしょうがない。

 

孤独感とか虚無感とか人を信用できないとかそういうこととは一生向き合っていかなければならないと思います。それに打ち勝つためにみんな自分に個性だったり付加価値だったりをつけて生きてるのだと思うのです。だから自分は1人だ〜うわーんっていうより、そもそもみんな1人だし、だから世界はこんなに多様性が生まれて色づくし、みんなそんな違うのだからお互いに違和感とか生きづらさを感じるのは当たり前って思って生きて行くのがいいのかもしれない。

 

どうでもいいのですが自分は何かを思い切ってやったときthe pillowsのFunny Bunnyって曲を聴く習性があります。就活の第一志望の最終面接の後、これ聴きながらみなとみらいの大桟橋でカップルわんさかいる中、2時間くらいぽけーって黄昏てました。(そして最終で落ちた笑)

今も聴いてるのですが4年前に知ってから私が一番好きな曲です。いい曲だよ。

とりあえずみなさん熱中症には本当に気をつけて…。

自己評価と見せ方

こんばんは。友達が池袋のシュークリームシュクリのシュークリームをうちに持ってきてくれたので今日はいい日です。

やっぱりここのシュークリームは一番美味しいです。

 

今日は自己評価と自分の見せ方の話です。

最近お世話になっている人(以下Kさん)とこの話題になり色々考えさせられたので記述しておきます。

 

Kさんは「僕は自分のことを自分できちんと評価できていると思うし、そうできる人は強いよ」と話しています。要は自分は自己評価ができているしそうあったほうがいいよということらしい。

最初、自己評価という単語の定義が分からず「自己評価できている=自分を価値のある人間と評価している(みなしている)」という意味だと捉えました。

この人は自分に相当自信があるのだな…(そんなに堂々と言えるのはもはやなんかすごい)と思いました。

 

もちろんその「自分の価値を高く評価する」意味もあるのかもしれませんが、彼と話しているうちに彼の「自己評価できている」という言葉の意味に気づき始めました。

 

彼のいう自己評価とは、「自分がどういう人間か客観的に把握すること」だと気づきました。

話を聞いていると、彼は自分の特性(好き嫌い得意不得意やりたいことやりたくないことなど)をきちんと自分の中で整理できていました。

 

自己評価ができているお陰で、自分の出るべきところややりたいこと(自分のプラス要素)に関しての緻密性や戦略は論理的かつかなり練られていて、よく考えて取り組んでるなと思いました。

 

一方で苦手なことやりたくないこと(自分のマイナス要素)に関してはあまり情を持っていないように感じました。やるかやらないかは別として、メンタルをそこに使っていない感じです。

 

苦手なことやできないことに関して、整理・把握しきれていないから、みんな自分はできるとかいう変なプライドを持って突っ込んで行って結果はボロボロで凹んじゃったり、逆になんでこんなことができないんだろうとかその都度思ってパニック状態になってメンタルを削がれたりするんだと思います。マイナスの特性も把握できているのは精神面でのへこみが少なくなる利点がある思います。

 

彼は自分の特性のマイナスの面も把握しているので、そこ(マイナスの特性)にはあまり労力や情はかけずに、自分のプラスの特性に自分の沢山の労力や時間や思考を持っている気がします。その結果、彼は他の人より結果を出すことができているしあんまり精神的にブレないんだろうと感じました。

 

こう整理して思い出したのですが、わたしはここでいう自己評価というものを、就職活動に関してはできていたかもしれません。とても自分と向き合って、これ以上ないくらい納得して、戦略的にやりました。

 

私は就職活動をはやく始めました。その理由は、大企業に行きたいとか意識高い系とかそういうものではありません。私は自分が「自分は心配性だから、多くの選択肢(業界や企業)を見てから1つの企業に絞らないと入ってから不安になるだろう」と分かっていたからです。

 

ここ行きたい!って決めてそこしか見ない人もいるけれど私はそれがすごく不安になってしまう人です。私は、何か仕事で辛いことがあった時、もっと他の業界もみとけばよかったとか思ってしまうだろうという人間なので、はやくから就職活動を始めて、ほぼ全ての業界を研究しました。

 

就職活動では自分に関しての自己分析ノートは2冊書きました。また人事に好かれるにはどうすればいいか(自分の見せ方)も戦略的にやりました。これは後々に自己評価が客観的にできる大きな要素となりました。

 

会社説明会にいくのはみんな説明をきくために行きますが、そんな会社説明などホームページに書いてあります。私は気に入った企業に関しては会社のホームページを事前に見て質問事項をまとめて、質問をするために説明会に行っていました。質問コーナーとかではなく、説明会が終わった後みんなが帰ってから個別に聞きに行くことで名刺をもらったり社員の人を紹介してもらったりして顔を売っていました。何度か行くと向こうから話しかけてくれるようにもなったし、個別にメールをくれる会社や、休みを使って自分のためにESや面接で話すことを一緒に考えてくれる社員もいました。私は自分に自信がないし、自己主張も苦手なので、10分程度の面接の場で他を凌駕するのは無理だと思いました。なので自分のような人間は自信をつけるためにも面接前の説明会の時点から戦略を練って攻めたほうがいいと分かっていました。

何万人もいる就活生の中で、人事も一人一人覚えてないでしょう。というか運の作用大きいと思います。その中で、「人をいかに自分に惹きつけるか」、そこを考えて就活をできたことが良かったかなと思います。

 

そう行った見せ方の工夫で、自己主張が苦手だったり特別なアピールポイントもない自分でも納得いく終わり方ができました。

 

自己評価できるって大切だなと思います。なんか最近割と凹みぎみだったけど、そこに気づかされて、Kさんと話したのは、いい機会だったなと思いました。

 

 

 

 

 

にわとり日記はじめました

思ったことをのんびりと書き留めていきたいと思い、にわとり日記はじめました。仲良しの後輩がすすめてくれました。

 

なぜ「にわとり」いう名前を選んだのか。

後ほど説明します。

 

さて、私は色々(高レベルで)できるオールマイティな人間になりたいと思っています。これは他人から評価・注目されたいというのではなく、自分がちゃんとやらないと気が済まないしイラついてしまうタイプだからです。

物事に必死に取り組んで結果を出して、世に生きた証や爪痕を残したい。人生やりきった〜って思って死ねたらいいなと思っています。

 

それに付随して。私は何か物事に取り組む際、「目標にする人」とか「この人には負けたくないなって人」を設定するようにしています。

 

自分より上のラインだけでなく横のラインの両者を見ることが大切だと思っています。

 

自分より経験値や知識量のある上のラインの人(目標にする人)だけを意識して成長や結果に繋がればいいのではという意見もあると思います。ただ、一緒に過ごしたり働いたりして思ったのは、経験値が良くも悪くも凝り固まった常識となってしまってるということです。それが当たり前で正しいものだという概念がどうも強いと思いました。概ね見習っていけばいいと思うのですが、自分やコミュニティを取り巻く状況ですとか、能力やセンスの違いとかも含めて自分に合ったプロセスを考える必要があるとおもいます。神のように崇めてその人だけしか見ないということにしてしまいますと、視野が狭くなり、自分の目指すレベルには繋がらないと感じます。目標にする人と備わった素質を完全に一致させ、同じ人になるというのは不可能なので、そこを把握して(他者との違いを認めて)、「自分の特性を加味した目標像(目標達成結果)」を考え、目指す客観的な視点も必要な気もします。

 

一方、横のラインの人(この人には負けたくないなって人)は経験値と知識は少ないですがそのおかげで常識にとらわれず柔軟な考えができると思います。また時代や流行にあった試行錯誤をノンベースの状態でしなければいけないという点やポジション位置の近さから条件が同じであり、何かしら自分にはない視点を持っていた際に、良い参考、またはこれは良くない視点や方法だからやめようという参考にもできる場合があると思っています。

 

下のライン(後輩)はあまり見ないようにしてます。参考どころか後輩さんに対しては、自分のことを差し置いて完全にお世話の人と化してしまうため、自己の目標達成の手段としては自分には合わないなと思います。

 

色々な方面から試行錯誤して結果を出して、高次元でオールマイティにできる人間を目指しているわけですが、この世の中で一番オールマイティな存在は誰なんだと思いました。

 

ひらめいたのがにわとりさんです。

彼らはすごいです。

【にわとりのスペック】

*安い

*卵というオールマイティ食材を産む(大事)

*育成に場所とらない

*栄養素豊富

*学校での飼育の対象となる

*鳴き声による目覚まし兼地域活性化()

*どんな調理法でも美味しい

 

素晴らしいオールマイティマンでした。

特に卵を産む点での世への貢献度がすごいです。彼らは小屋の中で生きているだけで何も試行錯誤せずとも世にこれほど貢献しています。すごい。今日もにわとりに感謝して過ごしましょう。